1947年の中部日本ドラゴンズ(1947ねんのちゅうぶにほんドラゴンズ)では、1947年の中部日本ドラゴンズの動向をまとめる。
この年の中部日本ドラゴンズは、杉浦清選手兼任監督の2年目(前年途中からの監督代行を含む)のシーズンである。
概要
このシーズンから愛称を名乗ることが義務化されたため、オーナーだった杉山虎之助の干支である辰を由来として「中部日本ドラゴンズ」に改称した[2]。チームは優勝候補の巨人が開幕から躓いたこともあり終始好調で前年の最下位から一気に躍進したが、7月と9月に成績が伸び悩んだのが痛かった。最後は阪神の戦後初優勝を許して2位に終わり球団初の優勝はこの年もならなかった。翌年から「中日ドラゴンズ」と改称し、現在に至る(途中で名古屋鉄道と中日新聞社が共同経営し、「名古屋ドラゴンズ」を名乗ったこともある)。ベストナインは杉浦兼任監督が受賞した。投手陣では清水秀雄が23勝、藤本英雄が17勝、服部受弘が16勝と67勝のうち56勝をこの3人が稼ぎ、チーム防御率は2.03のリーグ1位で、打撃陣もリーグ2位の410得点、盗塁数も143個でリーグ2位を記録した。
チーム成績
レギュラーシーズン
1947年日本野球連盟順位変動 順位 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 |
1位 | 大阪 | -- | 大阪 | -- | 大阪 | -- | 大阪 | -- | 大阪 | -- | 大阪 | -- |
2位 | 中日 | 0.5 | 中日 | 1.5 | 中日 | 6.0 | 中日 | 5.5 | 中日 | 8.5 | 中日 | 12.5 |
3位 | 南海 | 2.5 | 南海 | 7.0 | 南海 | 10.0 | 南海 | 10.5 | 南海 | 11.0 | 南海 | 19.0 |
4位 | 金星 | 7.5 | 阪急 | 10.0 | 巨人 | 13.0 | 阪急 | 14.5 | 阪急 | 12.5 | 阪急 | 20.5 |
5位 | 阪急 | 8.0 | 巨人 | 阪急 | 14.5 | 巨人 | 15.0 | 巨人 | 16.5 | 巨人 | 22.5 |
6位 | 太陽 | 8.0 | 金星 | 12.5 | 東急 | 18.0 | 太陽 | 17.5 | 太陽 | 21.5 | 東急 | 28.0 |
7位 | 東急 | 8.5 | 太陽 | 13.0 | 太陽 | 18.5 | 東急 | 22.0 | 東急 | 24.5 | 太陽 | 28.0 |
8位 | 巨人 | 9.0 | 東急 | 14.0 | 金星 | 20.0 | 金星 | 23.0 | 金星 | 25.5 | 金星 | 37.5 |
選手・スタッフ
中部日本ドラゴンズ 1947 |
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監督 | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[3][4]
表彰選手
ベストナイン |
選手名 | ポジション | 回数 |
杉浦清 | 遊撃手 | 初受賞 |
出典
- ^ “年度別成績 1947年 日本野球連盟”. 日本野球機構. 2017年8月8日閲覧。
- ^ 【勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一】(36)ニックネーム 「ベアーズ」変更 生まれた勇者産経新聞 2020年7月27日
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 107
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。
各年の中日ドラゴンズ |
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。 |
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