陸羽地震 |
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本震 |
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発生日 | 1896年(明治29年)8月31日 |
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発生時刻 | 17時6分27秒(JST) |
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震央 | 日本 秋田県・岩手県県境付近 |
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座標 | 北緯39度30分 東経140度42分 / 北緯39.5度 東経140.7度 / 39.5; 140.7座標: 北緯39度30分 東経140度42分 / 北緯39.5度 東経140.7度 / 39.5; 140.7[1] |
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規模 | マグニチュード(M)7.2 |
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最大震度 | 震度7 |
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地震の種類 | 逆断層型・大陸プレート内 |
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被害 |
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死傷者数 | 死者209人・負傷者779人 |
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被害地域 | 秋田県・岩手県 |
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プロジェクト:地球科学 プロジェクト:災害 |
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陸羽地震(りくうじしん)は、1896年(明治29年)8月31日午後5時06分27秒に、秋田県と岩手県の県境にある真昼山地の直下(北緯39.5度、東経140.7度)で発生した逆断層型の内陸直下型地震(大陸プレート内地震)である。
マグニチュード(M)は7.2、2008年(平成20年)の岩手・宮城内陸地震と並ぶ東北地方最大規模の直下型地震。震源は10キロメートルより浅く、震源地付近で震度6、一部では震度7の揺れがあったと推定されている。被害は、横手盆地の内部と東側の山地に集中し、仙北郡の千屋・長信田・畑屋・飯詰・六郷などの集落では、全戸数の7割以上が全半壊した。全体では、死者209人、負傷者779人、家屋全壊5,792戸、半壊3,045戸、山崩れ9,899箇所に及ぶ。
地震断層
この地震は秋田県と岩手県の県境付近に南北方向に延びる横手盆地北部の東縁に位置する横手盆地東縁断層帯(白岩(しらいわ)・六郷断層群と、この断層群の東側に並行する川舟断層)が活動し、地表には千屋断層や川舟断層などいくつかの断層が出現した[2]。その後の調査により、田沢湖町(現 仙北市)から六郷町(現 美郷町)に至る約30キロメートルの区間で地震断層の千屋断層が確認された。それによると、田沢湖町の生保内(おぼない)断層、角館町(現 仙北市)から中仙町(現 大仙市)にかけての白岩断層、太田町(現 大仙市)の太田断層、千畑町(現 美郷町)の千屋断層が垂直に最大3.5メートル変位(東側が上昇)した。また、岩手県和賀郡沢内村(現 西和賀町)の川舟断層でも西側が最大で2メートル上昇している。
誘発地震
約2か月半前の6月15日に発生した明治三陸地震の影響を受け、その震源域および余震域から離れた地域で発生した誘発地震と考えられている[3][4]。また、1891年の濃尾地震との関連性を指摘する研究がある[5]。
出典
[脚注の使い方]
- ^ 日本地震学会『日本付近の主な被害地震』
- ^ 秋田災害忘れじの旅ある記 その2 地震の痕跡と仙北郡の惨話【水田 敏彦】(24.6.14) 秋田大学
- ^ 2011年 東北地方太平洋沖地震 過去に起きた大きな地震の余震と誘発地震 東京大学地震研究所 広報アウトリーチ室
- ^ 1896年陸羽地震の謎 弘前大学理 地球環境学科 地圏環境学講座 佐藤研究室
- ^ 吉田明夫、青木元、「大地震の前に日本海沿岸の広域に現れた地震活動の静穏化」 地学雑誌 2002年 111巻 2号 p.212-221, doi:10.5026/jgeography.111.2_212
参考文献
- 陸羽地震 国立科学博物館地震資料室
- 水田敏彦、鏡味洋史「1896.8.31 陸羽地震の秋田県における被害分布に関する文献調査」『日本建築学会技術報告集』第15巻第30号、日本建築学会、2009年6月、597-600頁、doi:10.3130/aijt.15.963、NAID 40016793257。
- 日本地震学会『日本付近の主な被害地震年代表』
関連項目
外部リンク
- 陸羽地震 (1896年8月31日 M7.2)
- 1896 年陸羽地震 (PDF) 岩手県
- 水田敏彦、鏡味洋史、1896.8.31 陸羽地震の秋田県における被害分布に関する文献調査 日本建築学会技術報告集 2009年 15巻 30号 p.597-600, doi:10.3130/aijt.15.597
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- 陸羽(1896年、M7.2)
- 宮城県沖(1897年、M7.4)
- 三陸沖(1897年、M7.7)
- 宮城県沖(1898年、M7.2)
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- 秋田仙北(1914年、M7.1)
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- 十勝沖(1915年、M7.0)
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- 大町(1918年、M6.1+M6.5))
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- 福島県沖(2021年、M7.3)
- 宮城県沖(2021年、M6.9)
- 千葉県北西部(2021年、M5.9)
- 福島県沖(2022年、M7.4)
- 奥能登(2023年、M6.5)
- 能登半島(2024年、M7.6)
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