角家主
角 家主(つの の やかぬし、生没年不詳)は、奈良時代の貴族。姓は朝臣。官位は従五位下・諸陵頭。
出自
角(都努・都濃)臣氏は紀氏と同族で、紀角宿禰の子孫である小鹿火宿禰が紀小弓の喪に服するため、新羅から帰国した際に、角国(周防国都濃郡)に留まったため、角臣の氏姓を授けられたという[1]。天武天皇13年(684年)八色の姓の制定により、臣姓から朝臣姓に改姓している[2]。氏人に天武天皇13年(684年)同じく小使として新羅に派遣された都努牛飼がいる[3]。
経歴
元正朝末の養老7年(723年)従五位下に叙爵する。なおこの時に、のちに第18次遣新羅使になる土師豊麻呂も従五位上に昇叙されている。
聖武朝の天平4年(732年)正月に家主は第19次の遣新羅使とされ、2月下旬に天皇に拝謁している[4]。この遣使の目的は神亀3年(726年)以来遣使を行っていない新羅に対して、入貢を促すものであったと想定される。ところが遣使任命の2日後に新羅使・金長孫らが来朝し[5]、5月には入京して聖武天皇に拝謁を行い、来朝するときは3年に1度にする旨を詔されている[6]。それでも遣新羅使の派遣は中止されなかったらしく、家主たちは新羅へ渡航し8月に帰国している[7]。
官歴
『続日本紀』による。
脚注
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参考文献
- 『日本書紀(三)』岩波文庫、1994年
- 『日本書紀(五)』岩波文庫、1995年
- 宇治谷孟『日本書紀』(上下巻)、講談社〈講談社学術文庫〉、1988年
- 『続日本紀 2(新日本古典文学大系13)』岩波書店、1990年
- 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
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