繩果

繩果(ジェンガ)
続柄 太祖阿骨打三男

全名 完顔宗峻
称号 汴王
出生 不詳
死去 天会元年7月9日(1124年8月18日
配偶者 恵昭皇后 蒲察氏
子女 合剌(ホラ)、常勝、査剌
父親 太祖阿骨打
母親 聖穆皇后 唐括氏
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繩果(ジェンガ)は、金の皇族。漢名は宗峻。太祖阿骨打(アクダ)の三男。母は聖穆皇后唐括氏。爵位汴王

生涯

嫡子であったために父の太祖阿骨打から正式な後継者と定められ、父に従軍して功績を立てる。後に叔父の2代呉乞買(ウキマイ)に従軍して、中京大定府西京大同府を攻略中に、重傷を負った。天会元年(1124年)7月、それが原因で破傷風に罹り、間もなく死去した。

なお、繩果の未亡人の蒲察氏は異母兄の斡本(オベン、漢名は宗幹)に再嫁した。そのために斡本は2人の甥の養父となり、その後見役となった。

長男の合剌(ホラ)が第3代金朝皇帝熙宗として即位すると、彼は亡父に対して、徽宗廟号景宣皇帝諡号を贈った。

宗室

妻妾

中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
金史/卷一十九 本紀第十九 世紀補
  • 恵昭皇后 蒲察氏

子女

  • 熙宗 合剌(亶)
  • 胙王 常勝(元)
  • 査剌