歩兵第51連隊(ほへいだい51れんたい、歩兵第五十一聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
- 3月 - 編成下令
- 4月15日 - 軍旗拝受
- 7月 - 樺太に派遣
- 4月4日 - 拡大する戦局に対応するため、第15師団と共に隷下部隊として再編成される
- 8月 - 華中に派遣、江蘇省各地に駐屯、漢口の戦いなどに参加
- 11月12日 - 江蘇省容県城の警備に就く
- 3月 - 鎮江に移駐、同地の警備に就く
- 6月 - ビルマ方面に移動、インパール作戦に参加するため急ぐが、輸送上の問題により遅れる
- 2月 - レウに集結完了
- 3月15日 - チンドウィン川を渡河
- 3月17日 - 国境を突破、インドに進入する
- 4月1日 - アラカン山脈を突破するも、先鋒部隊の第33師団が停滞したため本連隊は立ち往生する
- 7月7日 - 1週間の絶食状態が続いたのちに退却命令が下る
- 11月 - ウントー北方に集結
- 1月 - イラワジ会戦に参加
- 8月 - 終戦
歴代連隊長
歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐) 代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
第一次 |
1 | 中野広 | 1905.4.15 - | 中佐 |
2 | 河村光治 | 1906.3.24 - 1906.9.20 | 中佐 |
3 | 横山新治 | 1906.9.20 - 1908.8.22 | 中佐、大佐昇進、死去 |
4 | 志波今朝一 | 1908.9.12 - 1910.11.30 | |
5 | 山梨半造 | 1910.11.30 - 1911.9.6 | |
6 | 柳下重勝 | 1911.9.6 - 1913.8.22 | |
7 | 吉野文四郎 | 1913.8.22 - 1916.8.18 | |
8 | 竹上常三郎 | 1916.8.18 - | |
9 | 岡田誠道 | 1918.1.18 - | |
10 | 石原周信 | 1921.7.20 - 1922.8.15[2] | |
11 | 深見新之助 | 1922.8.15[2] - 1923.8.6[3] | |
12 | 小磯國昭 | 1923.8.6 - 1925.5.1 | |
第二次 |
1 | 池田廉二 | 1938.7.16 - | |
2 | 斎藤春麿 | 1940.8.1 - | |
3 | 尾本喜三雄 | 1941.5.16 - | |
4 | 折田一雄 | 1944.10.14 - 1945.2.18 | 戦死 |
5 | 上田孝 | 1945.3.1 - 3.21 | 中佐、戦死 |
末 | 山内清之 | 1945.4.7 - | 中佐 |
脚注
- ^ 『官報』第7621号、明治41年11月19日。
- ^ a b 『官報』第3013号、大正11年8月16日。
- ^ 『官報』第3306号、大正12年8月7日。
参考文献
- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『官報』
関連項目