| 村上 哲哉 | | |
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名前 |
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愛称 | テツ |
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ラテン文字 | Tetsuya MURAKAMI |
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基本情報 |
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国籍 | 日本 |
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生年月日 | (1981-09-24) 1981年9月24日(42歳) |
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出身地 | 日本・山口県宇部市 |
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身長 | 174cm |
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体重 | 67kg |
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選手情報 |
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ポジション | フィクソ |
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利き足 | 右 |
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クラブ1 |
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年 | クラブ | 出場 | (得点) |
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| ジュンジーズ | | |
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| 広島F・DO | | |
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2005-2007 | FIRE FOX | | |
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2008-2017 | シュライカー大阪 | | |
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代表歴 |
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2009-2013 | 日本代表 | | |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
村上 哲哉(むらかみ てつや、1981年9月24日 - )は、山口県宇部市出身のフットサル選手・フットサル指導者。中国フットサルリーグの広島F・DO監督。ポジションはフィクソ。2009年からフットサル日本代表。川崎医療福祉大学卒業。左右両足から強烈なシュートを放つことができる[1]。
経歴
クラブ
山口県宇部市出身で、宇部市立藤山小学校、宇部市立藤山中学校を卒業[2]。福岡県の東海大学付属第五高等学校では1学年下に多田大介などがいたが、3年時の高校サッカー選手権では福岡県大会で敗れている。高校卒業後に進学した川崎医療福祉大学でもサッカー部に所属していたが、名門フットサルチームの練習に参加してフットサルに目覚めた[3]。大学卒業後の進路としては消防士を目指していたが、公務員試験の2ヶ月前に出場したフットサル大会で足首を捻挫したことで公務員試験の実技試験を受験できず不合格[3]。一時期は地元山口県のジュンジーズに所属し[4]、中国フットサルリーグの広島F・DOにも所属した。セレクションを経て関東フットサルリーグのファイルフォックスに加入し、3年目の2007年度にはキャプテンを務めた[3]。2008年にはアドリアーノ監督に請われてFリーグのシュライカー大阪に入団[3]。2008年と2009年にはFリーグ オーシャンアリーナカップで優勝し、2010年と2012年には全日本選手権 PUMA CUPで優勝。2011年にはキャプテンに就任。2012年のワールドカップ後には引退も考えたが[1]現役続行。
2016-17シーズンのシュライカー大阪はFリーグと全日本選手権の2冠を達成[5]。シーズン終了後に現役引退した[6][7]。
日本代表
2008年にミゲル・ロドリゴが日本代表監督に就任すると、2009年に日本代表に初選出された[1]。2010年には2010 AFCフットサル選手権に出場して優勝。2011年の日本代表合宿中には右膝靭帯を損傷して3ヶ月半戦線離脱[1]。2012年には2012 AFCフットサル選手権に出場して2連覇を達成し、2012 FIFAフットサルワールドカップではベスト16となった[8]。ワールドカップでは三浦知良と一緒に戦った。
所属クラブ
サッカー
フットサル
指導クラブ
タイトル
個人成績
脚注
- ^ a b c d フットサル村上選手、再び日本代表宇部日報 2013年5月9日
- ^ 藤山出身の村上選手、再びフットサル日本代表に宇部日報 2013年10月16日
- ^ a b c d Special Interview シュライカー大阪 村上 哲哉選手大阪スポーツみどり財団
- ^ 村上選手、フットサルの日本代表に宇部日報 2012年5月19日
- ^ 大阪の永井義文が現役引退を発表!「僕の選手人生は最高に幸せでした」。 Futsal Edge 2017年4月17日
- ^ 元日本代表キャプテン、大阪の“闘将”村上哲哉が現役引退を表明。「最後に最高の結果で恩返しできるように」 Futsal Edge 2016年12月19日
- ^ 村上哲哉選手、現役引退のお知らせ シュライカー大阪 2017年4月17日
- ^ 日本代表全選手大会後コメント日本サッカー協会
外部リンク
- 公式ブログ
- 村上哲哉 (@te2yamurakami) - X(旧Twitter)
フットサル日本代表 - 出場大会 |
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日本代表 - 2012 AFCフットサル選手権 優勝 (2回目) |
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日本代表 - 2012 FIFAフットサルワールドカップ |
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