山岸貴司
やまぎし たかし 山岸 貴司 | |
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生誕 | (1967-07-17) 1967年7月17日(57歳) 和歌山県[1] |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京健康科学専門学校 |
職業 | トレーナー |
活動期間 | 1992- |
配偶者 | 山岸佐知子[2] |
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山岸 貴司(やまぎし たかし、1967年7月17日 - )は、日本のトレーナー。 山岸昂司(読みは同じ)名義でも活動[3][1]。
来歴
1990年に東京健康科学専門学校を卒業し、外傷への対応力を身につけるために[4]アメリカンフットボールのトレーナーとして活動。1997年から東京スポーツ・レクリエーション専門学校の講師を務めていたが、日本高校サッカー選抜のトレーナーを任され、以来サッカーに携わるようになった[4]。2001年より国立スポーツ科学センターのオープニングスタッフとして勤務していたところ、リハビリ中のFC東京選手と接することになり、2003年より同クラブへ加入。
2008年からは日本サッカー協会の下でフィジカルトレーニングを担い、Jリーグを始め[5]日本各地域及び[6]AFC加盟各国の[7]審判員の能力向上に努めている[8]。
職歴
- 1986年04月 - 1986年12月 : 国土計画(後のコクド、現・プリンスホテル。西武鉄道グループ) 社員[3]
- 1990年04月 - 1991年03月 : 東京健康科学専門学校 教務事務職員[3]
- 1992年04月 - 1998年12月 : IBMビッグブルー ヘッドアスレティックトレーナー[3]
- 1993年 - 1994年 : HONDAレーシングチーム アスレティックトレーナー[3]
- 1997年04月 - 2001年09月 : 東京スポーツ・レクリエーション専門学校 専任講師[3]
- 1999年01月 - 1999年12月 : 東京学芸大学学獅会アメリカンフットボール部SNAILS アスレティックトレーナー[3]
- 1999年02月 - 2000年12月 : 国士舘高校サッカー部 ヘッドアスレティックトレーナー 兼 フィジカルコーチ[3]
- 1999年12月 : 奈良育英高校サッカー部 アスレティックトレーナー[3]
- 1999年 - 2001年 : 日本高校サッカー選抜 アスレティックトレーナー[3]
- 2001年02月 - 2003年12月 : 五洋建設パイレーツ メディカルアドバイザー[3]
- 2001年08月 : 横浜F・マリノスジュニアユース アスレティックトレーナー[3]
- 2001年09月 - 2002年12月 : 国立スポーツ科学センタースポーツ医学研究部 アスレティックトレーナー[3]
- 2001年09月- 2002年06月 : 法政大学第二高校サッカー部 アスレティックトレーナー[3]
- 2001年10月 - 2002年12月 : 東京スポーツ・レクリエーション専門学校 顧問[3]
- 2002年 : 横浜F・マリノストップチーム アスレティックトレーナー[3]
- 2003年01月 - 2007年12月 : FC東京 ヘッドアスレティックトレーナー[3]
- 2008年02月 - : 日本サッカー協会 レフェリーフィジカルトレーナー[3] / フィットネスインストラクター
- アジアサッカー連盟 エリートフィジカルフィットネスインストラクター[2]
脚注
- ^ a b “トップチームコーチ陣”. 2007年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年5月28日閲覧。 FC東京
- ^ a b “謙虚にさらなる向上を目指す馬場氏”. 2009年1月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月18日閲覧。 アジアサッカー連盟 (2009年1月21日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r (協議)資料No.3 (PDF) 日本サッカー協会 (2009年12月10日)
- ^ a b 第1回「山岸昂司フィジカルトレーナー インタビュー」 日本サッカー協会 (2008年3月31日)
- ^ Jリーグ担当審判員が開幕前合同トレーニングキャンプを行う 日本サッカー協会 (2014年2月14日)
- ^ 2014年度 第3回 地域レフェリーフィットネスインストラクター研修会 日本サッカー協会 (2014年12月26日)
- ^ JFAインターナショナルレフェリーインストラクターコース 2010 日本サッカー協会 (2010年6月12日)
- ^ 審判 サッカーファミリー 日本サッカー協会