尚典
尚典 | |
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第二尚氏 | |
尚典侯(『那覇百年のあゆみ』より) | |
全名 | 朝弘(和名) |
称号 | 中城王子 |
出生 | (1864-09-02) 1864年9月2日 琉球国、首里 |
死去 | (1920-09-20) 1920年9月20日(56歳没) 大日本帝国、沖縄県首里区 |
埋葬 | 大日本帝国、沖縄県首里区、玉陵 |
配偶者 | 尚祥子 |
子女 | 一覧参照
|
父親 | 尚泰 |
母親 | 章賢室 |
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尚 典(しょう てん、1864年9月2日(同治3年8月2日) - 1920年(大正9年)9月20日[1])は、琉球王国最後の世子、日本の政治家。中城王子。位階は従二位。勲等は勲四等。
生涯
最後の琉球国王である尚泰王の長男として生まれる。琉球処分後に東京府に移住する。父の没後、第二尚氏の第20代当主となった。侯爵を襲爵し、貴族院議員などを歴任した。
年譜
- 1864年(同治3年)9月2日 - 尚泰王の世子として誕生する。
- 1874年(同治13年)9月22日 - 久米具志川間切を加増される。
- 1878年(光緒4年)
- 1879年(光緒5年、明治12年)
- 1888年(明治21年)9月11日 - 長男・尚昌誕生。
- 1901年(明治34年)
- 1920年(大正9年)9月20日 - 首里邸において死去。尚家歴代の墓所である玉陵に納骨された。
尚 典 しょう てん | |
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所属政党 | 無所属 |
称号 | 従二位 勲四等 侯爵 |
親族 | 尚泰(父) 尚順(弟) 漢那憲和(義弟) 尚昌(長男) 井伊直愛(義孫) |
貴族院議員 | |
選挙区 | 侯爵議員 |
在任期間 | 1901年8月31日 - 1920年9月22日[3] |
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栄典
- 1902年(明治35年)12月20日 - 従三位[4][5]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 勲四等旭日小綬章[6]
- 1909年(明治42年)12月27日 - 正三位[7]
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章[8]
- 1918年(大正7年)1月10日 - 従二位[9]
家族
脚注
ウィキメディア・コモンズには、尚典に関連するカテゴリがあります。
中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。
尚典の作品
[脚注の使い方]
日本の爵位 | ||
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先代 尚泰 | 侯爵 尚家第2代 1901年 - 1920年 | 次代 尚昌 |
その他の役職 | ||
先代 尚泰 | 第二尚氏当主 第20代:1901年 - 1920年 | 次代 尚昌 |
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