宮本光庸
みやもと こうよう 宮本 光庸 | |
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生誕 | 宮本 正雄 1913年3月20日 日本・徳島県徳島市 |
死没 | (2001-03-08) 2001年3月8日(87歳没) |
死因 | 腎肺不全 |
出身校 | 帝国美術学校 |
職業 | 写真家 |
受賞 | 徳島県文化賞 |
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宮本 光庸(みやもと こうよう、本名:宮本 正雄、1913年(大正2年)3月20日 - 2001年(平成13年)3月8日[1])は、日本の彫刻家。徳島県徳島市出身。帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)卒業。
経歴
帝国美術学校(現在の武蔵野美術大学)卒業。清水多嘉示、建畠大夢に師事する[2]。
日本美術展覧会参与を務め、1981年には徳島県文化賞を受賞。また1953年と1954年に朝倉賞を受賞するなど日本の彫刻界に功績を残した。鳴門市の妙見山公園の遊歩道沿いには彼の作品が展示されている[2]。2001年3月8日、腎肺不全のため死去[1]。
受賞歴
脚注
- ^ a b 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.602
- ^ a b “宮本光庸”. 徳島県立近代美術館. 2022年1月11日閲覧。
徳島県文化賞受賞者 | |
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1970年代 | |
1980年代 | |
1990年代 | |
2000年代 | |
2010年代 | |
2020年代 |
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