大葉子

曖昧さ回避 この項目では、欽明朝の女性について説明しています。植物については「オオバコ」をご覧ください。

大葉子(おおばこ、生没年不詳)は、上代日本の女性。調伊企儺(つきのいきな)の妻。

経歴

調伊企儺は、難波の人。応神天皇の代に弩理使主という者が百済から帰化し、その曾孫弥和は顕宗天皇の代に姓 調首を賜わった。

伊企儺は、その子孫で、号して調吉士。欽明天皇の代に新羅がまた背き、任那を亡ぼしたので、朝廷は紀男麻呂を将として問罪の師をおこし、伊企儺はこれの副将であった。妻大葉子とともに軍に従い、敗れて、となった。

新羅の人が刀を抜いて彼に迫り、そのを脱がせ、をあらわにさせ、日本のほうへ向けさせて、

日本の将、わが臗脽(尻の意)を噉(くら)へ

と叫ばせようとし、しかし伊企儺は、

新羅王、わが臗脽を噉へ

と叫び、殺された。その子である舅子は父 伊企儺の屍を抱いて死んだ。

大葉子は虜であったが、歌って

からくにの きのへにたちて おほばこは ひれふらすも やまとへむきて(韓国の城の上に立ちて大葉子は 領巾振らすも大和へ向きて)

と。聞く者はみなこれを哀れんだ。領巾(ひれ)は古代の女性が肩にかけていた長い布で、領巾を振る動作は別れを惜しむ意味[1][2]

初出は日本書紀(720)欽明二三年七月(寛文版訓)[3]

出典

  1. ^ 領巾大辞泉
  2. ^ 領巾振る大辞泉
  3. ^ 尻を食らえコトバンク
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