保住直孝
基本情報 | |
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本名 | 保住 直孝 |
階級 | ミドル級 |
身長 | 180cm |
国籍 | 日本 |
誕生日 | (1974-12-10) 1974年12月10日(49歳) |
出身地 | 神奈川県横須賀市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 39 |
勝ち | 30 |
KO勝ち | 23 |
敗け | 7 |
引き分け | 2 |
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保住 直孝(ほずみ なおたか、1974年12月10日 - )は、日本のプロボクサー。神奈川県横須賀市出身。元日本ミドル級、元OPBF東洋太平洋同級王者。ヨネクラボクシングジム所属。横浜高校卒業。
高校の同級生に元阪神タイガースの部坂俊之、1年後輩には大和心がいる。
来歴
高校時代の1991年・1992年、インターハイライトヘビー級2連覇を達成する。卒業後、ヨネクラジムに入門。
1993年6月8日、西森豊に2RKO勝ちでプロデビュー。
1995年8月8日、日本ミドル級王座決定戦でケビン・パーマーと対戦。ダウンを奪ったものの10RKO負け。プロ初黒星となった。
1999年4月3日、日本テレビ「ダイナミックグローブ」で大谷信直を7RTKOで下し、日本同級王座獲得。
4ヵ月後にテレビ朝日「エキサイトボクシング」でノンタイトルを1RKO勝利。
2000年2月29日、堀内稔を判定で下し、初防衛に成功。
2000年8月1日、鈴木悟に顎を2箇所折られた末に8RTKOで敗れ、王座陥落。
2001年8月1日、OPBF東洋太平洋ミドル級タイトルマッチでパーマーと再戦。9RKO勝ちで王座を獲得。
2002年5月14日、崔光辰を迎えてのOPBF東洋太平洋王座初防衛戦ではほぼ試合を支配し、8RKO勝ちを収めた。
2002年7月29日、ノンタイトルでガオグライ・ゲーンノラシンに4RKO勝ち。この試合後、OPBF東洋太平洋王座返上。
2002年10月10日、WBA世界ミドル級王座に挑戦。竹原慎二を倒したウィリアム・ジョッピーに10RTKO負けを喫し王座獲得失敗。
2004年5月1日、荒木慶大が持つ日本ミドル級王座に再挑戦も判定負け。
2006年、第3回B:Tight!に参戦。決勝でアマチュア13冠の佐藤幸治に敗れ、準優勝となった[1]。
2008年2月23日、東京都で公務執行妨害事件を起こし、6月24日有罪判決を受けたことにより、日本ボクシングコミッション(JBC)からライセンス無期限停止処分を受けた[2]。
2010年12月1日、ボクシング系格闘技イベントBOXFIGHTのメインイベントでラチャシー・シッサイトーンと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[3]。
エピソード
- 「ボクシングで嫌いなのは練習とロードワーク」などと公言するほどの練習嫌いである。
- 高校およびジムの先輩であり元WBA・WBC世界ストロー級チャンピオン、そして「150年に一人の天才」と謳われた大橋秀行に「(保住を)最初見た時、天才かと思いましたよ」と言わしめた。
- 日本ランカー当時に「竹原は逃げてるんですよ、オレから」や「竹原、本当に大したことない」などの数々のビッグマウスでOPBF王者であった竹原慎二への挑発を繰り返したが、世界挑戦への機が熟していた竹原からは相手にされず、対戦は実現しなかった。
- YouTubeにて竹原慎二が、テレビでの自分への挑発行為を見て、世界戦も決まらない為、対戦オファーを出したが保住のトレーナーから謝罪があり、対戦はなくなった。と語っている
戦績
- アマチュアボクシング:17戦17勝無敗
- プロボクシング:36戦28勝(23KO)6敗2分
獲得タイトル
- 第45回インターハイライトヘビー級優勝
- 第46回インターハイライトヘビー級優勝
- 第3回B:Tight!ミドル級準優勝
- 第48代日本ミドル級王座(防衛1度)
- 第35代OPBF東洋太平洋ミドル級王座(防衛1度)
著書
電子書籍
- 『歴史が代わる!「脳は選べます!今、そこで。」 』Kindle版(2018年11月5日発売、Kindle)ASIN B07K79JW2B[4][5]
脚注
関連項目
外部リンク
前王者 大谷信直 | 第48代日本ミドル級王者 1999年4月3日 - 2000年8月1日 | 次王者 鈴木悟 |
前王者 ケビン・パーマー | 第35代OPBF東洋太平洋ミドル級王者 2001年8月1日 - 2002年7月(返上) | 空位 次タイトル獲得者 豊住徳太郎 |