人見順士
人見 順士 | |
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生誕 | 1881年4月2日![]() |
死没 | (1959-05-01) 1959年5月1日(78歳没) |
所属組織 | ![]() |
軍歴 | 1904年 - 1934年 1945年 |
最終階級 | ![]() |
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人見 順士(ひとみ じゅんし[1]、1881年(明治14年)4月2日[2] - 1959年(昭和34年)5月1日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[1]。
経歴
1881年(明治14年)に東京府で生まれた[2]。陸軍士官学校第15期卒業[2]。1929年(昭和4年)8月1日に陸軍歩兵大佐進級と同時に第7師団司令部附となり[1]、北海道帝国大学に配属された[1]。1932年(昭和7年)3月に歩兵第10連隊長(第10師団・歩兵第33旅団)に就任し[1][2]、満洲事変終戦後の満洲に出動し[2]、討伐戦に任じた[2]。
1934年(昭和9年)3月5日に陸軍少将に進級して待命[1][2]、3月16日に予備役に編入された[2]。1945年(昭和20年)4月6日に召集され、名古屋陸軍幼年学校長に就任した[3]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
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- ^ a b c d e f 外山 1981, 204頁.
- ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 610頁.
- ^ 「第83号 昭和20年4月8日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120939300
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」22頁。