中保久城
「保久城」とは異なります。 |
中保久城 (愛知県) | |
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別名 | 中保久殿屋敷 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | 不明 |
築城主 | 不明 |
築城年 | 貞治(1365年)[1] |
主な城主 | 成瀬頼清 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 宝筐印塔[2] |
指定文化財 | なし |
位置 | 北緯34度59分37.2秒 東経137度17分10.3秒 / 北緯34.993667度 東経137.286194度 / 34.993667; 137.286194 (中保久城)座標: 北緯34度59分37.2秒 東経137度17分10.3秒 / 北緯34.993667度 東経137.286194度 / 34.993667; 137.286194 (中保久城) |
地図 | 中保久城 |
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中保久城(なかほっきゅうじょう)[2][1]は、愛知県岡崎市中伊町にあった中世の日本の城(山城)。
概要
『額田町史』[1]によると初代城主は成瀬頼清と記されている。中保久の集落橋の尾根先端に立地し、削平された平地が残っている。平地背後には宝筐印塔が1基現存する[2]。
関連事項
参考文献
脚注
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- ^ a b c 『額田町史』、P146
- ^ a b c 『新編岡崎市史額田資料編Ⅰ』P300
関連項目
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