ヴャチェスラフ・スタルシノフ
獲得メダル | ||
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2011年 | ||
男子アイスホッケー | ||
ソビエト連邦 | ||
オリンピック | ||
金 | 1964 | |
金 | 1968 |
ヴャチェスラフ・スタルシノフ(英語: Vyacheslav STARSHINOV, ロシア語: ВЯЧЕСЛАВ СТАРШИНОВ, 1940年5月6日- )は、ソビエト連邦のアイスホッケー選手。
経歴
モスクワで生まれ、1957年にHCスパルタク・モスクワに加入して、1972年に現役を一度引退した。この間ソビエト選手権で1967年に47ゴール、1968年に46ゴールをあげて得点王となり、チームも1962年、1967年、1969年と優勝を果たした。
現役を引退後2シーズン、スパルタク・モスクワのヘッドコーチを務めたが、1975年現役に復帰。
1975年に日本の王子製紙に入団。このことは、野球後進国で王貞治がプレーするようなものと報じられた[1]。2シーズン目の1976年には得点王、アシスト王となりベスト6にも選ばれた[2]。王子製紙では3シーズンプレーした[3]。
1978年にスパルタク・モスクワに復帰した。
1979年に2度目の現役を引退した。スパルタク・モスクワでは通算540試合に出場し、405得点をあげた。
1963年にソビエト連邦アイスホッケースポーツマスター(英語版)となり、2007年には国際アイスホッケー連盟の殿堂入りを果たした。
代表歴
アイスホッケーソビエト連邦代表(ロシア語版)として13シーズンプレーし、182試合に出場。通算で149得点をあげた。アイスホッケー世界選手権での1963年から1971年までの7連覇(冬季オリンピック開催年は開催なし)、1964年のインスブルックオリンピック、1968年のグルノーブルオリンピックでの金メダルに貢献した。1972年に行われたカナダ代表とのサミット・シリーズにも1試合出場している。
ソビエト連邦が誇る偉大なセンターであり、ボリス・ミハイロフに破られるまで得点記録を持っていた。彼とエフゲニー・マヨロフ、ボリス・マヨロフで形成されるラインは有名でゴールを量産した[4]。
クラブやソビエト連邦代表ではチームリーダーとしてチームメートの尊敬を受け続けた[4]。
詳細情報
記録
- ソビエトアイスホッケーリーグ最多ポイント:1968年
- ソビエトアイスホッケーリーグ得点王:1967年、1968年
- ソビエトアイスホッケーオールスター8回出場
- アイスホッケー世界選手権得点王:1963年、1966年
- アイスホッケー世界選手権ベストフォワード:1965
脚注
- ^ 『第36回日本アイスホッケーリーグ観戦ガイド』34頁 日本アイスホッケー連盟 2001年
- ^ “第11回試合結果”. 日本アイスホッケー連盟. 2010年8月15日閲覧。
- ^ “#8 Vyacheslav Starshinov”. 1972summitseries.com. 2010年8月16日閲覧。
- ^ a b “The Summit in 1972 Players Info”. 2010年8月15日閲覧。
外部リンク
- Team CCCP Players Info
- ヴャチェスラフ・スタルシノフ - Olympedia(英語)