ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハ
ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハ (Wilhelm Friedrich Ernst Bach, 1759年5月27日 ビュッケブルク - 1845年12月25日 ベルリン)はドイツの音楽家。音楽一族バッハ家出身で、著名な音楽家ヨハン・ゼバスティアン・バッハの孫。バッハ直系最後の作曲家。父親はヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ, プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の宮廷楽長を務めた。「世襲は発想を摩り減らす」との言葉を残したという。
1778年に父に連れられ、ロンドンに叔父ヨハン・クリスティアン・バッハを訪ね、その指導を受けピアニストやピアノ教師として名を揚げる。1782年に叔父が亡くなると、パリやオランダに移住し、最終的にミンデンの楽長に就任。1789年にプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世にベルリンに招かれ、王妃フリーデリケのチェンバロ教師となる。王妃の死後、1805年にフリードリヒ・ヴィルヘルム3世妃ルイーゼの宮廷楽長ならびに王妃付チェンバロ奏者および王太子(後のフリードリヒ・ヴィルヘルム4世)の音楽教師に就任。1811年にすべての公職を退く。
作品としては、3つのピアノ協奏曲、2台ピアノのための協奏曲、6手のためのピアノ曲[1]、2つの交響曲、2つの管弦楽組曲、歌曲、カンタータなどがある。作曲家として叔父や父親を通じてモーツァルトやハイドンの影響を受けた。
エルンストは長命であり、1843年にライプツィヒでヨハン・ゼバスティアン・バッハ像の除幕を記念する式典の参加者でもあった[2]。
遺体はベルリン中部の第2ゾフィー墓地に埋葬されている。
脚注
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ここではJ.S.バッハとの関係を示す | |
本人 | |
妻 | マリア・バルバラ・バッハ(再従姉、先妻) - アンナ・マクダレーナ・バッハ(後妻) |
先妻との子ども | ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(長男) - カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(次男) - ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルト・バッハ(四男) |
後妻との子ども | ゴットフリート・ハインリヒ・バッハ(五男) - ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ(六男) - ヨハン・クリスティアン・バッハ(末っ子) |
父母、祖父、伯父 | ヨハン・アンブロジウス・バッハ(父) - マリア・エリザベート・レムマーヒルト(英語版)(母) - ヨハン・エギディウス・バッハ(英語版)(伯父) - ヨハン・ミヒャエル・バッハ(義父) - クリストフ・バッハ(英語版)(祖父) - ファイト・バッハ(英語版)(高祖父) |
兄 | ヨハン・クリストフ・バッハ (1671-1721)(英語版)(長兄) - ヨハン・ヤーコプ・バッハ(英語版)(次兄) |
いとこ、はとこ | ヨハン・クリストフ・バッハ(従兄) - ヨハン・ベルンハルト・バッハ(再従兄) - ヨハン・ニコラウス・バッハ(再従兄) - ヨハン・ルートヴィヒ・バッハ(再従兄) |
甥 | ヨハン・ベルンハルト・バッハ (J.S.バッハの甥)(英語版) - ヨハン・ミヒャエル・バッハ3世(英語版) |
孫 | ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハ - ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (画家) |
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