レフ・オボーリン
レフ ニコラーエヴィチ オボーリン | |
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基本情報 | |
生誕 | (1907-11-11) 1907年11月11日 |
出身地 | ソビエト連邦モスクワ |
死没 | (1974-01-05) 1974年1月5日(66歳没) |
学歴 | モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
レフ・ニコラーエヴィチ・オボーリン(ロシア語: Лев Николаевич Оборин、ラテン文字転写の例:Lev Nikolayevich Oborin, 1907年11月11日 モスクワ - 1974年1月5日)はソビエト連邦のピアニストである。教育者としても著名な存在であり、ウラディーミル・アシュケナージなど多くの優秀な弟子を世に送り出した。
経歴
ロシア(当時は帝政時代)のモスクワ生まれ[1]。モスクワのグネーシン音楽学校に学び、ミハイル・グネーシンの姉でフェルッチョ・ブゾーニの高弟エレーナ・グネーシナにピアノを、アレクサンドル・グレチャニノフに作曲を師事し、かなりの優等生となる。
1921年に許されてモスクワ音楽院に入学。ピアノ科と作曲科に籍を置き、コンスタンチン・イグームノフの薫陶を受ける。1926年にピアノ科を修了。1927年の第1回ショパン国際ピアノコンクールに出場して優勝した。イグームノフの推挙でワルシャワに行き、ショパン・コンクールの第1位を獲得。その後ポーランドとドイツで演奏旅行を行う。1945年までロシア国内で積極的な演奏活動を行うのと併行して、1948年より母校モスクワ音楽院で教鞭を執った。主要な門人にウラディーミル・アシュケナージ、エカチェリーナ・ノヴィツカヤ、ディミトリー・サハロフ、アレクサンドル・バフチエフ、ミハイル・ヴォスクレセンスキー、アンドレイ・エゴロフ、ペーター・レーゼル、野島稔などがいる。
盟友ダヴィッド・オイストラフとは1935年に初めて演奏会で共演し、その後も終生さまざまなかたちで協力関係を保った。なかでもオイストラフと組んでフィリップスに録音したベートーヴェンのヴァイオリンソナタの演奏は歴史的名盤に数えられている。1941年にオイストラフのヴァイオリンとスヴャトスラフ・クヌシェヴィツキーのチェロとによってオイストラフ三重奏団を結成し、国際的な名声を得たものの、クヌシェヴィツキーが1963年に他界したため解散を余儀なくされた。
ミャスコフスキーやプロコフィエフ、ハチャトゥリアン、シェバリーン、ショスタコーヴィチなど、同時代の作曲家の作品のいくつかを初演している。
第4回および第5回ショパン国際ピアノコンクールとリーズ国際ピアノコンクールで審査員を務めたほか、モスクワ、リスボン、パリ、ツヴィッカウのコンクールでも審査員に名を連ねた。
脚注
ショパン国際ピアノコンクールの優勝者 | |
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第1回 - 第10回 |
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第11回 - |
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