ボーマルシェ大通り
ボーマルシェ大通り(ボーマルシェおおどおり、フランス語: Le boulevard Beaumarchais)は、フランス・パリの3区、4区と、11区との境目を走る大通り(ブールバール)である。3区・4区マレ地区の東端を南北に走る通り。
データ
- 地区 : 3区、4区、11区
- 起点 : バスティーユ広場
- 終点 : ポントシュー街(フランス語版)、サン=セバスティアン街(フランス語版)交差点
- 長さ : 750メートル
- 幅 : 35メートル
- 敷設年 : 1670年
区域
このパリの大通り(フランス語版)は、パリ4区のラ・バスティーユ街(フランス語版)の一角を起点に、11区のリシャール=ルノワール大通り(フランス語版)へと続き、3区のポントシュー街、11区のサン=セバスティアン街の交差点へとつづく道路である。バスティーユ広場からフィーユ=デュ=カルヴェール大通り(フランス語版)までをその領域とする。
起点のバスティーユ広場には、七月革命記念柱があり、そこから同大通りに並んで放射線状に北へ向かうリシャール=ルノワール大通りの起点には、バスティーユ市場がある[1]。すぐ西側に広がるル・マレには、ヴォージュ広場(フランス語版)やヴィクトル・ユーゴー記念館(フランス語版)があり、西側を北上すればサン=ドゥニ・デュ・サン=サクルマン教会があるが、いずれも通りには面していない[1]。
パリメトロ8号線のシュマン・ヴェール駅 (メトロ)(フランス語版)を出ると、同大通りの西側に沿って、カメラ屋やオーディオの専門店街が立ち並び、中古カメラ屋の店先には、ライカやローライの写真機、中判カメラ等が展示販売されている。
略歴
この並木道は、17世紀、1670年6月7日の王令によって、シャルル五世の城壁(フランス語版)の破壊ののちに、建設されたものである。同大通りは、Le cours の名で呼ばれ、さらには、「サン=タントワーヌ大通り」(boulevard Saint-Antoine)あるいは「サン=タントワーヌ門大通り」(boulevard de la Porte Saint-Antoine)とも呼ばれた。
おもな施設
- 2番地 - メトロバスティーユ駅のエクトール・ギマール出入り口。かつてリヨン通りないしリヨン街(フランス語版)にあり、オペラ・バスティーユ建築の際に移転されたものである。1978年(昭和53年)にフランス史跡(フランス語版)に指定された[2]。
- 23番地 - サゴンヌ館(フランス語版)(マンサール館とも)が庭園とともに存する。同大通りの名が捧げられているカロン・ド・ボーマルシェの邸宅は、リシャール=ルノワール大通りとボーマルシェ大通りの交差点に位置した。
- 28番地 - ブーランジュリ=パティスリ・ボーマルシェ(フランス語版)がある。フランス史跡指定[3].。
- 96番地 - 死刑執行人(ムッシュ・ド・パリ)のジャン=フランソワ・ヘイデンレイシュ住居跡。
- 111番地 - 通り3区側に、ブティックないし雑貨店の「メルシー (Merci) 」がある。サントノーレ通りの「コレット (Colette) 」等と共に、パリで有名なセレクトショップ。
アクセス
脚注
参考文献
- 『地球の歩き方 パリ&近郊の町 '11-'12』、「地球の歩き方」編集室、ダイヤモンド社、2011年5月28日 ISBN 4478041369
- 柏倉康夫『アンリ・カルティエ=ブレッソン伝』、青土社、2007年11月 ISBN 4791763785
関連項目
- パリの大通り(フランス語版)
- ラ・バスティーユ通り(フランス語版)
- リシャール=ルノワール大通り(フランス語版)
- ポントシュー通り(フランス語版)
- サン=セバスティアン通り(フランス語版)
- フィーユ=デュ=カルヴェール大通り(フランス語版)
- シャルル五世の城壁(フランス語版)
- リヨン通り(フランス語版)
- フランス史跡(フランス語版)
- サゴンヌ館(フランス語版)
- ブーランジュリ=パティスリ・ボーマルシェ(フランス語版)
- トゥルネル通り(フランス語版)
- サン=タントワーヌ街(フランス語版)
- マレ地区
- ヴォージュ広場(フランス語版)
- ヴィクトル・ユーゴー記念館(フランス語版)
外部リンク
- ウィキメディア・コモンズには、ボーマルシェ大通りに関するカテゴリがあります。
- Le boulevard Beaumarchais - 公式ウェブサイト
座標: 北緯48度52分25.7秒 東経2度22分5.3秒 / 北緯48.873806度 東経2.368139度 / 48.873806; 2.368139