ジミー・ウィリアム
1997年に中日ドラゴンズに所属した投手については「ジミー・ウィリアムズ (投手)」をご覧ください。 |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ワシントンD.C. |
生年月日 | (1946-05-03) 1946年5月3日(78歳) |
身長 体重 | 180 cm 81 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1965年 アマチュアFA |
初出場 | NPB / 1973年 |
最終出場 | NPB / 1974年10月21日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート |
ジェームス・オーティス・ウィリアム(James Otis "Jimmy" Williams、1946年5月3日 - )は、アメリカ合衆国ワシントンD.C.[1]出身の元プロ野球選手(外野手)。
来歴・人物
1965年にボルチモア・オリオールズと契約。メジャー昇格は無く、ロサンゼルス・ドジャースを経てサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のAAA級フェニックスから、1972年オフに行われていたウィンターリーグで視察していた監督の与那嶺要とヘッド兼投手コーチの近藤貞雄が気に入り中日ドラゴンズに入団[2]。
同じく新入団のボビー・テーラーとクリーンナップを組んだが、ウィリアムはリーグトップの95三振を喫するなど粗さが目立ち[2]、テーラーとともに不振に喘いだ。1974年は不振で谷木恭平のセンターにポジションを奪われ控えに[2]、主に代打での出場に終わり、同年限りで退団[1]。
帰国後、フェニックスへ復帰し引退した。引退後は地元のメリーランド州を中心に後進の指導に当たっている。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1973 | 中日 | 118 | 457 | 413 | 41 | 109 | 19 | 4 | 10 | 166 | 38 | 14 | 15 | 6 | 3 | 30 | 2 | 5 | 95 | 9 | .264 | .319 | .402 | .721 |
1974 | 95 | 269 | 241 | 23 | 54 | 11 | 1 | 4 | 79 | 27 | 3 | 8 | 3 | 0 | 24 | 0 | 1 | 52 | 10 | .224 | .297 | .328 | .625 | |
通算:2年 | 213 | 726 | 654 | 64 | 163 | 30 | 5 | 14 | 245 | 65 | 17 | 23 | 9 | 3 | 54 | 2 | 6 | 147 | 19 | .249 | .311 | .375 | .686 |
- 各年度の太字はリーグ最高
背番号
- 5 (1973年 - 1974年)
脚注
関連項目
外部リンク
- Baseball-Reference選手の通算成績 - Jimmy Williams Minor League Statistics & History
- Southern Maryland BaseballCamp
- 個人年度別成績 ジミー・ウィリアム - NPB.jp 日本野球機構