ジェームズ・クラッグス (1657-1721)

ジョン・クロスターマン(英語版)による肖像画、1710年頃。

ジェームズ・クラッグス英語: James Craggs the Elder、洗礼日1657年6月10日1721年3月16日)は、イギリスの政治家。南海泡沫事件で財を成したが、死後に泡沫による儲けが没収された。同名の息子ジェームズ・クラッグスは戦時大臣南部担当国務大臣を歴任した。

生涯

ウォルシンガム(英語版)のアンソニー・クラッグスとアン・モアクロフト(Anne Morecroft、フェルディナンド・モアクロフトの娘)の長男として生まれ、1657年6月10日にウォルシンガムで洗礼を受けた[1]。初期の経歴について不明な点が多いが、1684年にはノーフォーク公爵の家令になった[1]。そのあとはマールバラ公爵に雇われ、マールバラ公爵夫人サラ・ジェニングスの目に留まった[1]

1695年3月4日、今度は陸軍向けの衣服商人になっていたクラッグスは公金使用について調査している委員への帳簿提供を拒否し、3日後に庶民院に召喚され、公金使用の調査を妨害した廉でロンドン塔に投獄された[1]。しかし、マールバラ公爵夫人の影響力で1702年にグラムパウンド選挙区(英語版)で庶民院議員に当選、以降1713年まで庶民院議員を務めた。1702年にイギリス東インド会社勤務になり、ついで兵站補給部長(英語版)も務めたが、アン女王の治世末期に解任された[1]。ジョージ1世が即位すると、1714年11月19日に兵站補給部長に復帰、翌年にはコーンウォリス男爵と共同で郵政長官(英語版)に任命された[1]南海会社の理事ではなかったが、南海泡沫事件では取引に深く関わり、1721年初には庶民院によって任命された秘密調査委員会の査問を受けた[1]。委員会の3通目の報告書によると、南海会社は会社株をクラッグスに提供するために拠出しており、クラッグスもすでにその一部を受け取っていたという[1]。しかし、クラッグスは庶民院が委員会報告書の検討を終わらせていないうちに1721年3月16日に急死、チャールトンの教会墓地に埋葬された[1]。クラッグスの死因には病死説と、毒を仰いで自殺した説がある[1]

家族

エリザベス・リチャーズ(Elizabeth Richards、1711年1月20日没、ジェイコブ・リチャーズ(英語版)の娘)と結婚して、3男3女をもうけ、うち2男が夭折した。

  • ジェームズ(1686年 – 1721年) - 政治家、生涯未婚
  • マーガレット(1734年8月23日没) - 第3代準男爵サー・ジョン・ハインド・コットンと結婚、1女(早世)をもうけた[2]
  • エリザベス(1695年ごろ – 1765年4月25日) - 1718年4月、エドワード・エリオットと結婚、子供あり[3]
  • アン(1756年11月22日没) - 1712年7月、ジョン・ニューシャム(John Newsham、1673年4月15日 – 1724年11月21日)と結婚、1男をもうけた[4]。1724年、ジョン・ナイト(英語版)(1733年没)と再婚、1男1女をもうけた[5]。1737年3月23日、初代ニュージェント伯爵ロバート・ニュージェントと再婚、子供なし[6]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j Barker, George Fisher Russell (1887). "Craggs, James (1657-1721)" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 12. London: Smith, Elder & Co. pp. 439–440.
  2. ^ Courtney, William Prideaux (1887). "Cotton, John Hynde" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 12. London: Smith, Elder & Co. pp. 305–306.
  3. ^ Crisp, Frederick Arthur, ed. (1919). Visitation of England and Wales (英語). Vol. 13. p. 126.
  4. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "NEWSHAM, John (1673-1724), of Chadshunt, Warws.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月30日閲覧
  5. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "KNIGHT, John (?1686-1733), of Gosfield Hall, Essex.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月30日閲覧
  6. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "NUGENT, Robert (1709-88), of Gosfield, Essex.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月30日閲覧

関連図書

  • Hanham, Andrew A (2002). "CRAGGS, James I (1657-1721), of Jermyn Street, Westminster and Charlton, Lewisham, Kent". In Hayton, David; Cruickshanks, Eveline; Handley, Stuart (eds.). The House of Commons 1690-1715 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年5月27日閲覧
イングランド議会 (en
先代
サー・ウィリアム・スコーエン(英語版)
フランシス・スコーベル
庶民院議員(グラムパウンド選挙区(英語版)選出)
1702年 – 1707年
同職:フランシス・スコーベル 1702年 – 1707年
次代
グレートブリテン議会
グレートブリテン議会(英語版)
先代
イングランド議会
庶民院議員(グラムパウンド選挙区(英語版)選出)
1707年 – 1713年
同職:フランシス・スコーベル 1707年 – 1708年
トマス・スコーエン(英語版) 1708年 – 1710年
トマス・コーク(英語版) 1710年 – 1713年
次代
トマス・コーク(英語版)
アンドリュー・クイック
軍職
先代
ジョン・パルトニー(英語版)
兵站補給部長(英語版)
1703年 – 1711年
次代
ニューディゲート・アウズリー
先代
リチャード・キング
兵站補給部長(英語版)
1714年 – 1715年
次代
トマス・フランクランド(英語版)
公職
先代
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サー・ジョン・エヴリン準男爵(英語版)
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1715年 – 1720年
同職:コーンウォリス男爵
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