ゴーヴィンド・ラーオ・ガーイクワード
ゴーヴィンド・ラーオ・ガーイクワード Govind Rao Gaekwad | |
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ガーイクワード家当主 | |
別号 | マハーラージャ |
出生 | 1751年4月以降 |
死去 | 1800年9月19日 ヴァドーダラー |
子女 | アーナンド・ラーオ・ガーイクワード サヤージー・ラーオ・ガーイクワード2世 |
家名 | ガーイクワード家 |
父親 | ダマージー・ラーオ・ガーイクワード |
宗教 | ヒンドゥー教 |
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ゴーヴィンド・ラーオ・ガーイクワード(Govind Rao Gaekwad, 1751年4月以降 - 1800年9月19日)は、西インドのグジャラート地方、ガーイクワード家の当主(在位:1793年 - 1800年)。
生涯
ダマージー・ラーオ・ガーイクワードの四男として生まれた[1]。
1778年、兄ファテー・シング・ラーオ・ガーイクワードが当主サヤージー・ラーオ・ガーイクワードを廃し、新たな当主となった[1]。同年に弟のゴーヴィンド・ラーオはファテー・シング・ラーオに反乱を起こしたが失敗した[1]。
敗れたゴーヴィンド・ラーオはアフマダーバードへと退き、そこからプネーへ逃げることを強いられ、亡命生活を送った[1]。
1793年7月27日、弟であり当主のマナージー・ラーオ・ガーイクワードが死亡し、ゴーヴィンド・ラーオが当主位を継承した[1]。
1800年9月19日、ゴーヴィンド・ラーオは死亡し、息子のアーナンド・ラーオ・ガーイクワードが当主位を継承した[1]。
出典・脚注
- ^ a b c d e f Baroda 4
関連項目
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当主 | ピラージー・ラーオ・ガーイクワード1731-1732 / ダマージー・ラーオ・ガーイクワード1732-1768 / サヤージー・ラーオ・ガーイクワード1768-1778 / ファテー・シング・ラーオ・ガーイクワード1778-1789 / マナージー・ラーオ・ガーイクワード1789-1793 / ゴーヴィンド・ラーオ・ガーイクワード1793-1800 / アーナンド・ラーオ・ガーイクワード1800-1801 |
ヴァドーダラー藩王 | アーナンド・ラーオ・ガーイクワード1801-1819 / サヤージー・ラーオ・ガーイクワード2世1819-1847 / ガナパト・ラーオ・ガーイクワード1847-1856 / カンデー・ラーオ・ガーイクワード1856-1870 / マルハール・ラーオ・ガーイクワード1870-1875 / サヤージー・ラーオ・ガーイクワード3世1875-1939 / プラタープ・シング・ラーオ・ガーイクワード1939-1947 |
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