コロラド党 (ウルグアイ)
コロラド党 Partido Colorado | |
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党旗 | |
党首 | フリオ・マリア・サンギネッティ |
成立年月日 | 1836年9月19日 |
本部所在地 | ウルグアイ、モンテビデオ |
政治的思想・立場 | 自由主義 共和主義[1] 社会自由主義 第三の道[2] |
国際組織 | ラテンアメリカ・カリブ政党常設会議 |
公式サイト | www.partidocolorado.com.uy |
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コロラド党(コロラドとう、Partido Colorado)は、ウルグアイの政党であり、2004年の選挙で拡大戦線が勝利するまでは伝統的なウルグアイの二大政党制の一角を保ってきた。コロラド(色付き)とは、ここでは赤を意味する。自由主義者と社会民主主義者の党であり、モンテビデオの都市民を支持層にして成立した。19世紀においては親ブラジル派、親英仏派であり、バルトロメ・ミトレ(スペイン語版、英語版)が台頭するまで親アルゼンチン派だったブランコ党としばしば内戦を繰り返した。このような政治対立が内戦に発展するのが解消するにはホセ・バッジェ・イ・オルドーニェスの改革を待たなければならなかった。
歴史
19世紀半ばから20世紀を通してウルグアイの与党であり、1958年の選挙でブランコ党に負けるまでの1865年から1959年までがコロラド党政権だった。
初代大統領のフルクトゥオソ・リベラ(スペイン語版、英語版)や、ブラジルの支援で政権を獲得し、三国同盟戦争を戦ったベナンシオ・フロレス(スペイン語版、英語版)、ウルグアイを大改革したホセ・バッジェ・イ・オルドーニェス、軍にトゥパマロスの鎮圧を任せて政権を奪われたフアン・マリーア・ボルダベリー、民政復帰を印象付けたフリオ・マリア・サンギネッティなどがこの党の出身である。
脚注
関連項目
- 国民党 (ウルグアイ)
- コロラド党 (パラグアイ)
ウルグアイの政党 | |
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