イタリアン大通り
パリ2, 9区 イタリアン大通り | |
Boulevard des Italiens | |
モンマルトル大通りから見たイタリアン大通り | |
位置 | |
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行政区 | 2区、9区 |
カルティエ | ガイヨン地区(2区)、ショセ=ダンタン地区(9区) |
起点 | モンマルトル大通り |
終点 | キャピュシーヌ大通り |
全長・幅員等 | |
全長 | 390 m |
幅員 | 35 m |
沿革 | |
旧称 | Boulevard Neuf boulevard du Dépôt boulevard Cerutti boulevard de la Chaussée-d'Antin boulevard de Gand |
番号 | |
Ville de Paris | 4678 |
DGI | 4758 |
イタリアン大通り | |
Wikimedia Commonsのページ |
座標: 北緯48度52分17秒 東経2度20分13秒 / 北緯48.871419度 東経2.336997度 / 48.871419; 2.336997
イタリアン大通り (Boulevard des Italiens) は、フランス・パリ2区と9区の境に位置する大通りである。
場所とアクセス
パリの「グラン・ブールヴァール」の一画をなす。すなわち、西から東へマドレーヌ大通り(フランス語版)、キャピュシーヌ大通り(フランス語版)、イタリアン大通り、モンマルトル大通り(フランス語版)、ポワッソニエール大通り(フランス語版)、ボンヌ=ヌーヴェル大通り(フランス語版)、サン=ドニ大通り(フランス語版)、サン=マルタン大通り(フランス語版)、タンプル大通り(フランス語版)、フィーユ・デュ・カルヴェール大通り(フランス語版)、ボーマルシェ大通りと、パリ中心部を囲むようにつながっている。
最寄駅は、メトロのオペラ駅とリシュリュー=ドゥルオ駅(フランス語版)である。
名称の由来
1783年に建てられたイタリアン劇場(フランス語版)(現在のオペラ=コミック座)に由来する。
沿革
- 1789年に大通りで行われた戦闘。
- 1890年頃のカフェ・リシュ。
- 20世紀初頭のイタリアン大通りの混雑。
- 左側にメゾン・ドレとカフェ・トルトーニ、右側にカフェ・リシュ。
著名な建物
- ラフィット通り(フランス語版)との交差点からは、サクレ・クール寺院がノートルダム・ド・ロレット教会に隣り合うように見える。
- 5番地の2:1860年から、パサージュ・デ・プランスの路地がここから開通した。
- 6番地:ファッション写真家A.フェリックスのアトリエであった。
- 8番地:1859年以降、第二帝政期のファッション写真家ウジェーヌ・ディデリ (Eugène Disdéri) のアトリエであった。
- 13番地:マリヴォー通り(フランス語版)との角に、第二帝政期の有名なレストランカフェ・アングレ(フランス語版)(1802年-1913年)があった。その後アール・ヌーヴォーの建物に建て替えられた。
- 15番地:シネマ・マリヴォーが1919年に開館した。その後経営主体が代わった末、レストランとなった。
- 16番地:BNPパリバの本店。アール・デコ・スタイルで、1926年から1933年にかけて建築された。元はカフェ・リシュ(フランス語版)があった場所である。
- 19番地:クレディ・リヨネ (Credit Lyonnais) の本店。ガス照明の最初のテストが行われた。
- 20番地:メゾン・ドレ(フランス語版)があった。
- 22番地:カフェ・トルトーニ(フランス語版)があった。
- 25番地:写真家フェルディナン・ムニエ (Ferdinand Mulnier) の住居であった。
- 26番地:Café de Badeがあった。
- 27番地:音楽出版社エノック(フランス語版)の本社があった。
- 29番地:公衆浴場バン・シノワ(フランス語版)があった。
- 31番地:蓄音機・映画のパテ (映画会社) (Pathé Salon, Pathé Frères Salon) 跡地にあたる。
- 36番地:1929年、建築家ミッシェル・ルー=スピッツが建物を建てた。
- 38番地:イタリアン大通りの西端。折れ曲がるとショセ=ダンタン通りである。
ギャラリー
- カフェ・アングレの跡地。
- BNPパリバ本店とメゾン・ドレのファサード。
- クレディ・リヨネ本店。
- パレ・ベルリッツ。
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