アルベルト・エレーデ
アルベルト・エレーデ | |
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生誕 | (1909-11-09) 1909年11月9日 |
出身地 | イタリア ジェノヴァ |
死没 | (2001-04-12) 2001年4月12日(91歳没) |
学歴 | バーゼル音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者 |
ポータル クラシック音楽
アルベルト・エレーデ(イタリア語: Alberto Erede, 1908年11月8日[1] - 2001年4月12日[2])はイタリアの指揮者。
経歴
ジェノヴァに生まれ、ミラノ音楽院で作曲を修めた後、バーゼル音楽院でフェリックス・ワインガルトナーに指揮法を師事した。 フリッツ・ブッシュの下でアシスタントを務めた後、1934年に、ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミアのコンサートを指揮してデビューを飾った。
1935年にはトリノでワーグナーの《ニーベルングの指環》を指揮してオペラ指揮者として成功を収め、グラインドボーン音楽祭やザルツブルク音楽祭などに出演するようになった。 1937年には、アメリカのNBC交響楽団を指揮してアメリカ・デビューを飾っている。
第二次世界大戦中はイタリアに戻り、トリノ・イタリア放送交響楽団の指揮者を務めていた。 戦後はメトロポリタン歌劇場で活躍した後、1956年からライン・ドイツ・オペラに出演し、1958年から3シーズン同歌劇場の音楽監督を務めた。またエーテボリ交響楽団の指揮者も務めた。
2001年にモンテカルロの自宅で死去。
脚注
- ^ “Erede, Alberto (opera)”. 2012年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月13日閲覧。
- ^ “Niccolò Paganini - Comune di Genova”. 2012年12月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月18日閲覧。
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