アルフォンス・ツィブルカ
この項目では、オーストリアの作曲家について説明しています。オーストリア=ハンガリー二重帝国の作家・画家については「アルフォンス・フォン・ツィブルカ」をご覧ください。 |
この項目では、インド・ヨーロッパ語族風に、名前を名姓順で表記していますが、ハンガリー語圏の慣習に従いツィブルカ・アルフォンズと表記することもあります。(Template:ハンガリー人の姓名)
アルフォンス・ツィブルカ Alphons Czibulka | |
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基本情報 | |
生誕 | (1842-05-14) 1842年5月14日 オーストリア帝国、キルヒドラウフ(ドイツ語版) |
死没 | (1894-10-27) 1894年10月27日(52歳没) オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン |
ジャンル | ロマン派(舞踏音楽) |
職業 | 作曲家、指揮者 |
ポータル クラシック音楽
ドイツ語でアルフォンス・ツィブルカ(Alphons Czibulka)またはマジャル語でツィブルカ・アルフォンズ(Czibulka Alfonz, 1842年5月14日 キルヒドルフ(ドイツ語版) - 1894年10月27日 ウィーン)は、ハンガリー人の作曲家・ピアニスト・指揮者。チブルカとも表記される。
甘美なサロン的小品で知られ、代表作は《ステファニー・ガヴォット》作品312(1880年)である。
生涯
1842年5月14日、オーストリア帝国領キルヒドラウフ(現スロバキア領スピシュカー・ノヴァ―・ヴェス)で誕生[1]。1865年、カール劇場(ドイツ語版)の第2楽長に就任(当時の楽長はフランツ・フォン・スッペ)。翌1866年にオーストリア軍に入り、軍楽隊長として名を馳せるようになった。入隊時の身分証明書類はスッペが書いた[1]。
1894年10月27日、ウィーンにて没。
作品
- 《ステファニー・ガヴォット》(Stephanie-Gavotte)op.312(1880年)
- ルドルフ皇太子とベルギー王女ステファニーの婚礼の際に、王女に捧げた[1]。
- 間奏曲《舞踏会の後の夢》(Liebestraum nach dem Balle, Intermezzo)op.356
- レントラー《高原の酪農小屋で》(In der Sennhütt'n, Ländler)
- オペレッタ《フィレンツェの聖霊降臨祭》(Pfingsten in Florenz)
- 1884年、アン・デア・ウィーン劇場で初演。この他にも5つのオペレッタを作曲した[1]。
出典
- ^ a b c d 若宮 2013, p. 169.
参考文献
- 若宮由美「博覧会的なピアノ曲集としての"Aus der Musikstadt"(1892)」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第13号、埼玉学園大学、2013年12月、167-179頁、ISSN 1347-0515、NAID 120005772404。
外部リンク
- アルフォンス・ツィブルカの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト