アブルハサン・アリー (ナスル朝)
アブルハサン・アリー ابو الحسن علی | |
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ナスル朝君主 | |
在位 | 1464年 - 1482年 1483年 - 1485年 |
死去 | 1485年 |
子女 | ムハンマド11世 |
王朝 | ナスル朝 |
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アブルハサン・アリー(アラビア語: ابو الحسن علی; Abu'l Ḥasan ʿAlī, 生年不明 - 1485年)は、ナスル朝最末期の君主(在位:1464年 - 1482年、1483年 - 1485年)。最後の君主ムハンマド11世(ボアブディルの名で有名)の父である。
生涯
一族内での権力確立や軍の再編成を通じ、衰勢のナスル朝の勢力回復を目指す。アラゴン王国=カスティーリャ王国の連合などによる攻勢にも必死の抗戦を繰り返すが、宮廷の内紛などもおこり挽回はならなかった。
息子ムハンマド(ボアブディル)と対立、1482年には息子がムハンマド11世として即位し、翌1483年にはカトリック両王によりムハンマドの王位が認められた[1]。
アブルハサン・アリーは1485年に死去、弟ムハンマド12世が即位した。
脚注
- ^ 関 他、p. 259
参考文献
- 関哲行 他 編 『世界歴史体系 スペイン史 1』 山川出版社、2008年
関連項目
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